カキカエブログ

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新一万円札の顔に選ばれた渋沢栄一とは誰?どんな人?出身地や誕生日は?何をした人?功績は?身長は?彼女は?結婚は?子孫は?

新一万円札に選ばれた渋沢栄一について調べてみました!

結論から言うと、渋沢栄一
江戸末期に海外視察をして、明治に日本に戻ってから官僚として働いた後に500以上の企業を作った、「日本資本主義の父」と言われる実業家です。

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出身地や誕生日などのプロフィールは?

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・生年月日
 1840年天保11年)2月
・出身地
 埼玉県深谷市血洗島(当時:武蔵国血洗島)
・家柄
 大農家の長男
・没年
 1931年11月11日(満91歳没)

何をした人?功績は?

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作った企業や組織として、500社以上あり、ほんの一握り上げるだけでも、これだけあります。
第一国立銀行(現:みずほ銀行
東京海上火災保険
王子製紙
田園都市
秩父セメント
・帝国ホテル
秩父鉄道
京阪電気鉄道
東京証券取引所
キリンビール
サッポロビール
日本赤十字社
時事通信社
共同通信社
一橋大学
東京経済大学

日本資本主義の父と言われるのも納得のラインナップです。

それを可能としたのは、良いものを取り入れる広い視野と実行力にあります。
江戸末期の1867年、27歳の時の渋沢はパリで行われた万国博覧会に参加しました。

そこで西洋の様々な仕組みを知り、帰国後は明治政府の大蔵省の官僚として物の測り方のルールを決める度量衡や、銀行のルールを規定する国立銀行条例制定に携わり、西洋と比べて遅れていた日本の経済発展を大きく進めました。

ちなみにbankに銀行という漢字を当てたのは渋沢栄一、economyに経済という漢字を与えたのは福澤諭吉と考えると、
まさに1万円札の人として選ばれる、格を感じますね。

しかし、明治政府内で財政運営で大久保利通らと意見が合わず辞職、その後は官僚時代に深く関わった第一銀行(現:みずほ銀行)に入行しながら、民間人として西洋に負けない国にしようと、上に記載したような会社や組織を立ち上げた人物です。

また一方で欲が強くなく、「私利を追わず公益を図る」と考え、自分の財閥などは作らず国家繁栄にその生涯を捧げました。
自身の財界引退後に「渋沢同族株式会社」を創設しましたが、これは自分の死後に財産争いが起きることを防止することを目的として作るほどの公益の発展を考えていた人でした。

昭和6年(1931年)に残念ながら死去しています。
享年92歳です。

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身長は?

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約150cmです、意外と小さいですね。

過去の資料や写真とも整合が取れていて、東京都北区にある渋沢史料館の等身大パネルもこの身長となっています。
背は小さくても、存在感は巨人と言っても差し支えないでしょう。

彼女は?妻は?

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渋沢栄一さんはすでに結婚していて、妻は千代(1841年 - 1882年) という者なのですが、渋沢との子を3人生んだ後、コレラに罹ってしまいなくなってしまいます。
その後、兼子という後妻を迎え、更に4人の子供が生まれています。

また2人の妻だけではなく、妾・庶子(つまり妻以外の関係を持った女性)も多数いて、更に公表されているだけで4人の子供がいます。
あまりに人数が多いので、月に1回家族会議を開いていたそうです。

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子孫は?

sogyotecho.jp
※こちらは玄孫、つまり孫の孫の子供です。
長男・篤二(母・千代)
 伯爵・橋本実梁の娘・敦子と結婚するも、子供や妻を置いて家を出ると、新橋の芸者・玉蝶と暮らし始めました。
長女・歌子(母・千代)
 法学者・穂積陳重男爵に嫁ぐぎました。
次女・琴子(母・千代)
 大蔵大臣・阪谷芳郎子爵に嫁ぎます。
二男・武之助(母・兼子)
 石川島飛行機製作所2代目社長となっています。
三男・正雄(母・兼子)
 日本製鐵副社長。石川島飛行機製作所初代社長となりました。
四男・秀雄(母・兼子)
 東京宝塚劇場会長、東宝取締役会長となりました。
三女・愛子(母・兼子)
 第一銀行社長・明石照男に嫁ぎます。
庶子:ふみ
  母は大内くに(1853年 - ?[37])。東洋生命社長となった尾高次郎に嫁ぐ。次郎は栄一の妻千代の兄尾高惇忠の子。
庶子:照子(? - 1927年)
 母は大内くに。富士製紙社長となった大川平三郎に嫁ぐ。平三郎は栄一の妻千代の姉の子。
庶子:星野辰雄(1893年 - ?)
  東京印刷社長・星野錫の養子になり、のち立教大学教授。栄一の長女歌子の夫穂積陳重の弟穂積八束の次女と結婚。
庶子:長谷川重三郎(1908年 - 1985年)
 第一銀行頭取。
養子:平九郎(? - 1868年)
  栄一の妻千代の弟。飯能戦争で新政府軍に敗れて自決。

いかがでしたか?

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新しい1万円札の顔の方なのですが、実績を見ると、逆になぜ今までお札として使われていなかったのか不思議なぐらいの偉人中の偉人ですね。

あまりの功績の多彩さに、FGOにキャスターとして呼ばれる日も近いのではないでしょうか?

ちなみに、併合時の韓国でのお札に使われていました。

いかがサイト風にまとめようと思ったのですが、あまりに要素が多すぎて、まとまる気がしません。
今後も詳細を加えて行必要がありそうです。