カキカエブログ

薄口慶應ライター始めました

偏差値40以下の大学で座学のみの勉強は学生の為にならない? 他コメント返し

ういっす、加々美です。

前回の記事がバズったのか、スマートニュースにも取り上げられて一気に広がりました。
厳しいコメントも多く頂きましたが、ありがとうございます。

ちなみに記事はこちらです。
kakikae.hatenablog.com

本当は全て返答したいのですが、あまりにも多くなってしまったので、この記事で改めてご回答をさせて頂きます。

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各種データに対するツッコミに対して

確かに、誤りも偏りもありました。

ご指摘、誠にありがとうございます。
順次修正をさせて頂きます。

F欄でも勉強して成功した・教授が減って社会の損失、に対して

実は、こういう意見を聞きたかったのです!
これは私の私的なメディアなので、私は私の意見を書きます

もちろん、そこに対して見てくれている人が書きたい事を書いてくれると新たな発見などもあって非常に勉強になります。
私も自分の意見に対して他の視点が手に入り、元々自分が書いたテーマに対してより詳しくなれて楽しくなります。

残念ながら、私は現状、F欄で勉強して人生を逆転させた人を見た事はありません。
そして勉強以外の切り口で闘うべきなのではないかと、昨日の記事にも書きました。

この考えを覆す発見などがあると良いので、欲を言えば反論記事などを書いて貰えると最高です

またF欄の教授という奇妙な立場にいる人も周りにはいないので、そこまで十分に視野が広がっていないように感じました。
F欄教授は自分たちの生徒をどう見ているのか気になりますね。

また、確かに研究の種類が減ってしまうのも問題ですね。
考えが足りない部分はありました。

勉強が必要な人から勉強を取り上げるな、に対して

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確かに、その通りです。
これまで勉強してこなかった分を、カバーするという事は大きな意味があります。

しかし、大学に入って四則演算やbe動詞の勉強からやり直すという教育に関しては、疑問を感じます。
理由は2点です。

① それまで18年間これをやってこなかった人間が、更に強制力のなくなった大学という環境で勉強に力を入れるとは思えない。
② 勉強して中学生レベルに知識が引き上げられた22歳の人材よりも、職業訓練や仕事の現場で鍛えられた22歳の方が生きやすそうだから。

むしろ、F欄大学に入る事は本人の為にならない可能性が非常に高いように感じています。
また、「勉強ができない=何もできない」とバカにされたように考えている人もいるようですが、そんな事はありません。
例えば、職人や鳶職、溶接、林業など実践を交えながら勉強する人の中には「俺勉強はからっきしでしたけど、体動かすと超楽しいっすね!」みたいな事を言う人って多い気がするのですよ。

何故なら自分の中で目的が見える勉強って結構楽しいじゃないですか?
私だけでしょうか?

偏差値40以下の人は「勉強を目的とした座学」が得意ではないのは確かです。

そうした人たちに、改めて18歳~22歳のもっとも冴える時期にまた苦手な「勉強を目的とした座学」にチャレンジするのは本人の為にならない可能性がどうしも高く感じます。

偏差値40以下の大学を潰し続けたら、最終的に大学がなくなるという指摘に関して。

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別に偏差値40を基準に切り捨て続けようという趣旨ではなかったのですが、そう捉えられた方がいたら申し訳ございません。

今現在、偏差値40以下の大学は不要では?という趣旨です。

また色々と想定してみたのですが、大卒という事に価値があり続ければ、偏差値40以下の大学を閉校し続けても大学がなくなる事はありません

塾の模試を基準に偏差値が決まるので、たとえ2割の大学が無くなり、模試を受ける人数が変わらなければ偏差値に変化はありません
またF欄に行く宿命の高校生が模試を受けなくなった場合、確かに下層の生徒が減り、全体的に偏差値は落ちます。

ここからは完全に概算ですが……

例えば大学が国立だけの86大学に減ってしまった場合を想定した場合、大体の入学受け入れ数が10万人程です。
更に18歳人口を見ると、118万人です。
計算をしやすくするために、全員単願にしてもらいます。

こうなった場合、ピッタリ10万人が入学できたとした場合、大学進学率は8.4%になります。

ここに対して、仮に今の大学進学率と同じ52%の高校生が受験を受けた場合は倍率は6.1倍になります。
この場合、合格者は上位の16.4%となり、合格者の最低の偏差値は59.5になります。

仮に受験者が20万人としても、合格者の最低偏差値50です。

その世代の上位8.4%として評価される大卒という扱いが続く限り、少なくても2倍の倍率はつくとは思うのですがどうでしょうか。
むしろその人数が少なければ少ないほど、その資格に価値があがり受験者数は増えそうな気がします。

偏差値40以下の大学を切って行っても大学はなくならないと思います。

性犯罪を犯した慶應も大学の価値がない、に対して

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これは論点がズレている気がします。

日本工業大学の事件は、建築学科の生徒達が、建築で最も大切な安全性という最も大切な要素を全く理解していない事が一番の衝撃でした。
学科目的の教育が全く理解されていないと、そう感じました。

餅は餅屋と思って餅を買いに行ったら、その店の店員がもち米すら知らずパッサパッサの餅しかなかった、みたいな状態です。
餅屋として存在意義を問いたくなるような事件だったかと思います。

一方、慶應のは主犯4人の許しがたい犯罪です。

ですが、今回は教育という観点から学校の意義を見ている記事なので、よくよく考えたら慶應生が犯した犯罪を教育の失敗として判断するのは難しくないでしょうか?

餅屋に例えるなら、餅屋の店員の一人が店外で犯罪を犯したという感じです。
他の店員はおいしい餅を作っているので、餅屋としては機能しています。

責任はもっと取るべきかもしれませんが。
まとめると、こんな形です。

  • 日本工業大学は教育されるべき最も重要な内容を、10人以上の集団の誰もが理解出来なかった
  • 慶應義塾大学の場合は想定以上に倫理観のないバカが犯罪を犯した

学校側が隠蔽したのは正直卒業生として残念に思います。
もしこれが頻発したら、慶應の最初の授業で「乱暴してはいけません」とオリエンテーションを受ける日がくるかもしれません。
その時は私も出身校を恥じます。

大学教育と入学時の偏差値が関係ない、に対して

どうでしょう?

人として大きく成長したり、成功に繋がる大学と評価されれば、自然と志願者が増えて偏差値はあがります。
勿論時間は掛かりますがね。

立命館大学は、産学官連携などで成果を上げて、偏差値もどんどん上がっている学校です。
早慶立命などと言い出している人も出てきたそうです。

なんだか新鮮ですね。

まとめ

  • ご意見ありがとうございました。
  • 違う視点のコメントをどんどん頂けると幸いです。
  • 特にF欄の勉強で人生が好転した人や、F欄教授などの実情なども聞いてみたいです。
  • 偏差値40以下の人は座学よりも実践で学んだほうが、本人の為だと判断しました。
  • 建築科が人を殺す展示を作る事と、慶應の性的暴行は全く違う事件
  • 良い教育をすれば、時間がかかっても偏差値に現れます。

是非コメントをつけて頂いたり、読者になって頂ければ幸いです。

ではでは♪
加々美でした。